Series Architect Politician -no.2
日本建築学会 機関紙 建築雑誌 JABS/2012/05 2012年5月20日発行
ブラジルの建築家と政治
建築家ジャイメ・レルネルを語るにあたり、ブラジルにおける建築家と政治との関わりについて述べておきたい。建築家という存在がきわめて重要視されるのがブラジル社会であり、有力な政治家の多くは優秀な建築家を腹心としてもつ伝統がある。その最も顕著な例がブラジリア遷都を実現したクビチェック大統領と建築家オスカー・ニーマイヤーの絆である。オスカーがいなければ、おそらくブラジリアは実現しなかったであろう。発展途上国にあって政治家の力量をわかりやすく表現するために、建築家の果たす役割は、良くも悪くも、大きい。従って建築家自らが政治を司れば一朝一夕ということになる。
クリティーバの都市再生
1937年パラナ州の州都クリティーバに生まれたジャイメ・レルネルはユダヤ系ポーランド移民二世で、連邦パラナ大学で土木と建築を学ぶ。1971年、33歳の若さでクリティーバ市長に就任、79年と89年にも市長に復帰し92年に三度目の市長を辞するまでの20年以上にわたりクリティーバ市の都市計画に継続的に関与したことになる。
チューブと呼ばれるバス停とカラフルな連結バスシステムが有名であるが、環境志向の公園整備、歴史的市街地の保存再生など、ソフトからハードまで、またデザイン面にも高い水準をもつ様々なまちづくり施策を次々と実現させた。先進諸国の最新の理論は実際には成果をみることは少なかったが、この若い建築家の才能は政治家という特権を得て、過去のしがらみをもたぬ発展途上国ブラジルの都市事情にも助けられて一気に開花したのだった。
これら具体的な施策の多くは、IPPUC(クリティーバ都市計画研究所)と呼ばれる独立した組織によるところが大きく、これもジャイメ・レルネルの業績のひとつであり1971年には自ら所長を務めている。都市計画と環境保全、さらに建築を一体的に扱い優れたデザイナーを配置する発想は建築家ならではのものといえよう。またまちづくりへの市民意識の向上を目途に参加型プログラムを次々と実施した。ゴミ収集や分別を学校教育に取り入れたり、市民参加で公園の管理運営を行ったりと、教育文化や医療福祉などまでも都市行政に取り込み、政治家としての手腕も存分に発揮した。
政治力と建築家の感性
市長実績を土台に1994年から2期8年パラナ州知事を務め、国政にあっても存在感を増し2003年の大統領選出馬も噂されるほどであった。実際は出馬せず2002年ベルリンでのUIA(国際建築家連合)世界大会で会長に当選し、世界の建築家のトップとして3年の任期を全うすることになるのだが、ここでも政治力を発揮して「都市礼賛国際アイデアコンペ」を創設し、世界の建築界を環境志向、そして、サステイナブルに大きく舵を切る指導力を発揮した。
大の日本通で知られ何度も来日しているが、近年「都市の鍼治療」という著作で「問題がある場所をよくするために都市計画的な一刺しをすることで、その問題を劇的に改善させていく連鎖反応を起こすことが可能である」と述べている。都市計画におけるスピード感覚にも強い主張を持ち、「何十年も前に決定した都市計画が一向に実現せず、市民が都市計画の無力感に麻痺することが最悪のシナリオ」と断言しているが、我が国の都市行政には耳の痛い話ではなかろうか。市長の決断で一夜にして車道撤去工事を断行した。もしも商店街の売り上げが下がれば1週間後には元通りに戻す約束で。ところが売り上げは上がったのでそのままになった。これが世界から注目された「花通り」の誕生秘話なのである。
ジャイメ・レルネルと同世代のリオデジャネイロの建築家、ルイス・パウロ・コンディは、都市計画局長時代からスラムクリアランスなどの都市計画にも取り組んできたが、1997年市長に就任し、多くの施策の実現を果たした。
オスカー、コンディ、そしてジャイメに共通するのは「建築家の卓越した直感とセンス」であり、それが政治家の素養として有効であると解釈できる。残念なことに我が国の政治家にそれが欠如している。日本の建築家が政治家になる日を期待したい。