イグアスの小屋

1975年サンパウロにてJOAQUIM GUEDES事務所への就職活動が難航し、隣国パラグアイの知人の牧場に身を寄せ採用通知を待っていたときのこと、居候させていただく御礼にと新人研修小屋の設計をさせていただくことになった。当時27歳。少々生意気な日本国一級建築士が南米の小国パラグアイの原始林に処女作を実現できることになった。敷地はまさにこれから開墾する原始林、材料はそこに聳え立つ原木でイッペイ木もちらほら。電気、ガス、水道なし。工業製品も一切なし。牧場内の工作所では始めて見る鞴(ふいご)が鍛冶に大活躍。釘や丁番など必要な建築金物は言えば作ってくれるという。製材所で基本的な木割寸法を聞く。杭、柱、梁、屋根、壁、床、建具、家具のすべてを切り出した無垢材でつくるという。
こうして原始に戻った「ものづくり」に挑戦することになった。屋根はイッペイ瓦葺きと決めカット寸法で大討論。鉄のドアノブと閂(かんぬき)はこういう形で、ベッドの脚はこうしてその下に引き出しを・・・・と、何から何まで具体的に考えて決めないと作って貰えないのだ。その結果、作り難いデザインは排除され合理性がすべてを支配する。かくして重力と熱帯スコール雨に耐える逆三角小屋に帰結した。ベッドが四つ。日本から来る農業研修生がここにキャンプしイグアスの原始林開拓を実習することになった。
この貴重な経験はその後の私の建築デザインに大きな影響を与えた。これではいけない!と実感したという意味において。東京の事務所では電話でカタログやサンプルを取り寄せどんな資材も用意に調達できた。現場では棟梁以下の職人さんに助けられて「いえ」は完成する。だから一つ一つの部位について深く物事を考えるということがなく、いわば中味を承知しないブラックボックスを組み合わせることで建築が完成する。時は流れ今我々はインターネット情報化社会の中で仕事をしている。油断するとますます「ものごとを深く考えない」でも建築ができてしまう。便利だが恐ろしい世の中になっている。

常識として流すことなく、何事にも「何故か」と問う姿勢、立ち止まって原点を見極めることがデザインには大切であることを学んだ貴重な27歳の体験であった。