ブラジルで広大な敷地の住宅ばかり作ってきた私。帰国した翌年1986年東京都渋谷区大山町のわずか122㎡の狭小敷地と闘うこととなりました。敷地巾が4.5~7.0mしかない細長い敷地に3階建てを建てようとすると日影規制等で上部が切り取られてプランが成り立たない。そこで地上は2階建てとし、容積未消化分は全て地下に確保することにしました。そう、建築基準法改正前で当時は住宅であっても地下室も容積対象だったのです。
地下室は建蔽率から解放されるので敷地全体に地下室が確保できます。そこにリビング・ダイニングを計画することにしました。地下空間であることを克服するための様々な工夫が求められました。採光や給換気は中央の光庭に依存します。この光庭に面した壁面はミラーガラスのカーテンウォールで万華鏡のごとき視覚効果が得られています。コンクリート打放しの外壁は東京の密集地に静寂の私空間をガードする意思表示であるわけです。
東京の土地事情ゆえに地下室までもフルに使い、ミリ単位の緻密さで「カラクリハウス」を追求することも、この国では建築家の仕事のひとつであることを納得したのでした。こうして誕生した「大山町住宅」は日本で仕事を始めた当時の私にとって記念碑的作品です。
築後20年を経過した2008年、この大山町住宅の三代目のオーナーからリニューアルを依頼され、ほぼ原型に近い形で復元改修されました。「地下室のいえ」が立派に存続しているのです。