デザイン監修という仕事 -新しいマンション設計の選択肢-

建設ジャーナル2008/12掲載

一部デベロッパーでは、建築工事費を事前に確定する目的、および設計瑕疵の資金的対応体力があるという理由で、ゼネコン設計部に設計業務を発注するいわゆる設計施工発注方式を採用するケースが増えている。一方、集合住宅設計に専門化した実務型設計事務所に企画設計からエンジニアリングや確認申請取得業務など実施設計実務を発注し、その設計図書に基づき競争入札で工事施工者を選ぶ方法も、工事費を抑える手段として多くのデベロッパーが採用している。 

このような状況にあって集合住宅のデザイン性の追及を、いつ、誰が、どのように、各事業プロジェクトに注入するかが問われるようになった。熾烈な販売競争にあって、商品性のひとつの重要な要素としてデザイン性も顧客へアピールする傾向が増してきている。こうした流れのなかで、デザイン業務だけを特定の建築家やデザイナーに委ねる場面が増えてきた。デザイナーズマンションと称される一連の集合住宅の多くがこの手法で設計され、販売広告などにデザイン監修担当者として建築家やデザイナーが登場することも多くなってきた。

デザイン監修という仕事の内容は各事業者の方針や建築家の考え方により異なり、千差万別のようである。私はかれこれ10年ほど前からデザイン監修を依頼されることが多くなり、すでに40案件を超えるデザイン監修をてがけている。このような経験から私なりにデザイン監修業務の内容を整理してみることにする。

まずデザイン監修という業務は、建築基準法や建築士法には規定されていない業務であり、したがって法的な位置づけは与えられておらず、確認申請などにも一切登場しない役割である。しかるに、近年どちらかといえば基準法上の設計者よりも広告媒体では大きく扱われる傾向にあり、たとえば通産省のグッドデザイン賞ではデザイン監修者が主役で受賞を競うといたった現象すら起きている。

こうした現象の遠因には、我が国の建築士制度がハードウェアとしてのエンジニアリングにシフトしているのに対して、欧米諸国の建築家の活動分野がデザインや環境、まちづくりといったソフト面に広がりをみせているという違いが指摘できる。日本の建築士資格を持たぬ海外の有力デザイナー建築家達が来襲した80年代バブル期には、日本側の設計者が法的設計責任の部分を担い、デザインを彼らに依存するという手法がスタートした。それ以前にも、いわゆる著名作家建築家が建物の外観デザインだけを担当するということも行われていたが、集合住宅でデザイン監修が頻繁に行われるようになったのは、私の個人的経験からみると、15年程前にスタートした幕張ベイタウンが大きく影響していると思う。

幕張ベイタウンではデザインガイドラインが定められており、集合住宅デザインへの要求水準が高く、各住宅事業者は設計者選定について委員会の承認を得なければならないなど、設計者の位置づけが重要視されている。一方、参加各ゼネコンの存在も重要であり、社会情勢ともシンクロして、エンジニアリング設計とデザイン設計の分業化が徐々に定着していった。初期の幕張ベイタウンでは、専業の設計事務所が通常の設計監理業務を行っていたが、最近の街区ではゼネコン設計部がハード面を担当し、建築家がデザイン監修者として参加する方式が増えている。私もこの幕張での経験を通して、他地区の様々な住宅事業のデザイン監修を担当する機会が拡がっていったような気がする。

私の場合、デザイン監修業務では通常、デザインコンセプトの提案、建物の外観デザインと外部空間デザイン、それとエントランス等の共用部デザインを担当する。デザインの視点から周辺調査や顧客ターゲットなどの分析を経て、デザインの大方針を提案する。デザイン担当する部位については、実際に設計を行いインテリア、色彩、照明、家具、アートやサインなどについても具体的に設計図書をとりまとめ、また仕上げ素材の選定などを行い、設計担当者への指示がなされる。終盤ではパンフレット、モデルルームなど販売ツール作成への協力や、実際の広報活動の一躍を担うこともある。一連の作業ではデザイン担当者として、模型やスケッチなど分かりやすいツールをもって打合せを行うので、事業者はもちろん設計担当者にとっても合理的な分業が成立している

デザイン監修の現場ではいくつかの要領が必要となるが、最も重要なのは設計の役割分担に関する事業者の理解である。いわば二人の設計者がひとつの建物を設計するわけであるから、最初からそれぞれの役割分担を契約上の問題も含めて明確にしておくことが何よりも大切である。幸い私が係った案件ではその交通整理がうまくいっており、ハード面での設計とデザインワークとがうまく溶け合って、良好な結果をもたらしていると自負している。 

今後について考えてこの稿を結ぼうと思う。姉歯事件で多くの市民が一級建築士という存在を知った。まさにハードを受け持つ建築士の理解である。建築基準法の世界でもますますハード設計の技術的向上を目指す改正が行われつつある。しかし、建築は技術だけで成り立つものではないことは歴史が証明している。デザイン性能を担保するための法制度は我が国では存在しないし、当分存在しないと考えられる。一方、建築の文化的側面であるデザインや環境、そしてまちづくりへの貢献といった分野を重視する大きな社会的動きも確実にある。ひとりの建築士がその両方を取り仕切ることは現実的には不可能といえる。したがって、デザイン監修を分業するという方式は、これから益々社会に受け入れられていくものと確信する。そうである為には我々デザイン担当者は、相当の覚悟をもって多岐にわたるデザインの力量を備え持つ必要があり、絶え間ない切磋琢磨が不可欠である。