建設ジャーナル2008/12掲載
景観法が施行され、ようやく日本でも景観を良くすることの価値が認められる方向に向かい始めた。たしかに日本の街は「醜い」と言わざるを得ない。これまで世論は必ずしもその事実を直視してこなかった。一に我々専門家がその責を追うべきだが、かといって専門家ががんばれば街が美しくなるわけでもない。
私はかねてより「住宅を美しくすることこそが街を美しくする」と主張してきた。なぜなら街の圧倒的過半は住宅という建物で出来ているからである。とりわけ規模が大きい集合住宅の美しさが問われる。しかるに集合住宅(私は大嫌いな呼称だが近年我が国では集合住宅をマンションと呼ぶ。マンションとは大邸宅を意味する言葉であるのに)は、多くの建築家にとってマイナーな対象とされてきた。「マンション設計を得意とします」と宣言することをなぜか憚る風土が、我が国の建築(家)界にはあるのだ。
こうして事務所創設以来、私は「住宅から都市デザインへ」を事務所の大方針に掲げて建築にかかわってきた。20年を超えて個人住宅、住宅地開発、そして集合住宅の設計監理の実績がつみあがり、それなりに日本の都市デザインに実務面で関与できたと自負している。
我が国の集合住宅の歴史は浅い。我が国最初の鉄筋コンクリート住宅とされる同潤会の中之郷アパートの竣工が1926年だからわずか80年余。その後住宅公団(現UR都市機構)のいわゆる「団地」の時代を経て、ようやく70年代から民間デベロッパーの分譲マンションが始まり、そして現在のマンションブームへと進んだ。その流れに沿って、設計事務所の集合住宅設計への取り組みも大きく変化してきた。
度重なる建築基準法の改定や各自治体の条例制定を受け、またユーザーの品質管理への要求度が飛躍的に高くなり、PL法施行によりデベロッパー責任やゼネコン責任が厳しく問われることになり、設計事務所への設計精度の要求水準も非常に高度なものとなってきた。この流れのなかで、集合住宅、とりわけ分譲マンション設計という業務は、専門的かつ難易度の高い特殊能力が求められることになり、そのハードルを越えたマンション設計専門事務所を定着させて今日に到っている。
その渦中にあって実務の現場から振り返ってみると、いわゆる用地取得(多くは入札)のための企画設計(ボリューム検討と呼ばれる)に始まり、事業性や建設コストを優先せざるを得ない環境の中で設計作業は進むわけだが、その間デザイン性の追及は残念ながら後回しにされる場面が多い。設計者のこだわり、それこそ気力体力がかろうじてそれ(デザイン性追求)を守っていると言える。
そんな中、近年では供給過多、売れ行き悪化、消費者意識の向上などにより、デザイン性の有無が販売を左右すると期待される場面が相対的に増えてきた。景観法に代表される世の中の流れが、それに拍車をかけることを期待している。
より良い(住みやすく、美しく、資産価値を維持する)集合住宅を設計する者が評価される時代となるだろうか。今、我々設計の当事者は、こうした認識をもって日々の業務に取り組み、結果を出していかねばならない。