JIA 建築家 architects 2004.06 特集/シリーズ「都市と建築」
はじめに
クリティーバ市はブラジル南部パラナ州の人口約160万人の州都である。移民国家ブラジルにあって、イタリア、ポーランド、ドイツ、ウクライナ等からの移民が多く、西欧文化の影響が都市づくりにも見られる特徴のある都市である。日本からの移民もお隣のサンパウロ州に次いで多く、また70年代以降日本企業の進出もめざましく、州や市など行政機関には多くの日系人が活躍しており我が国との結びつきも大変強い。生活水準指標に関する2001年の国連の調査でもクリティーバ市はブラジルで第一位にランクされており、効率的な公共交通システムや人口一人当たり55�の公園を実現した緑の環境整備等により国際的にも注目されている。
60年代にとりまとめられたクリティーバ市の都市計画の特徴は、五つの都市軸をもつ明快なマスタープランにある。このマスタープランに裏付けられた公共交通システムがこの街を世界的に有名にした。共生型の環境整備や歴史的市街地の再生、市民参加型のまちづくり等の近代都市計画の最新の手法が、IPPUCという組織を中心に効率的かつ迅速に実行されている。
マスタープラン
急激な都市の膨張に対して道路や下水の基盤整備と土地利用の方向を定めた1943年のアガシェ・プランに放射状のシステムが見られるが、今日のクリティーバ市の五つの放射都市軸に沿った都市構造は1964年に行われたコンペで当選した建築家ジョージ・ウィリェイム他による提案が基本となっている。当時創立されたクリティーバ都市計画研究所IPPUCがその後詳細計画策定にあたり、「明日のクリティーバ」と呼ばれた公開討論も経て1966年に現在の都市基本計画が策定された。明確な道路の階層構造と連動した土地利用ゾーニングが特徴で、五つの都市軸にそって高層建物が建ち並ぶ独特の都市景観が生まれる事になった。このマスタープランには土地の区画整理に関する要項や市街地再開発地区・歴史的市街地の保存再生の指針等も含まれており、現在の都市像の基本を決定づけたわけだが、中でも高価な地下鉄に依存せずにバスを用いた公共交通システムの独自性は注目に値するユニークなものであった。
バス公共交通システム
人口百万都市の公共交通システムとしては地下鉄や路面鉄道が不可欠であると考えがちで、我が国でも莫大な投資をものともせずに地方都市においても地下鉄建設が進められている。だが発展途上国ブラジルのクリティーバ市では、マスタープランに裏付けされた五つの放射状の幹線道路にバス専用レーンを設けることにより、交通渋滞を解消しバスの運行を改善し、都心への自家用車乗り入れ抑制にも成功した。地下鉄建設費の何十分の一とされるこのシステムは、建築家やプランナーたちによって発案された計画的な道路体系や多くのユニークな工夫によって成り立っている。
■三つの道路による通行体系
五つの都市軸は平行する三本の道路がセットで機能する。真ん中の幹線道路ではバスの運行を最優先し中央にバス専用レーンを設けている。乗降客が道路の真ん中で乗り降りするので、バスレーンの両側は駐車帯付きの車道にして高速車を排除している。この幹線道路と平行する両側の道路は自動車専用の一方通行で、コンピューターで最低運行速度を定め信号を制御して自動車交通の流れを確保している。これら三本の道路に挟まれた区画は、高密度かつ高層建築の土地利用が指定されており、土地利用計画と道路システムとが見事に連動しており、機能的なわかりやすさをもたらす他に、メリハリのある美しい都市のスカイラインを形成している。
■停留所の改良
自動車の利便性に慣れ親しんだユーザーに、自家用車を捨てバスの利用を説くためには、バス利用が車利用より快適な状況をつくるしかない。放射状のバス専用レーンでバスの高速走行は確保されたが、あわせて乗降時間の短縮もバスの高速運行を確保するには重要である。そこで鉄道駅のようなプラットホームつき停留所を開発し、料金の事前徴収と多人数の一斉乗降を可能にして乗降時間を約8/1に短縮した。建築家によってデザインされた鉄パイプと強化ガラスでできたテューボ(チューブ)と呼ばれるこの独特の停留所は、路線マップなどの解りやすいサイン表示や車椅子対応も充実しており、すぐれたデザイン性で市民に親しまれている。利用者の多い幹線沿いにこのテューボ駅が設けられており、利用者数によって増設出来るようにユニット化されている。乗換駅やターミナル駅では、何本ものテューボが並びゆったりとしたガラス屋根に覆われたコンコースを形成し鉄道駅の様相を呈している。
■バス車両の改良
バス車両そのものにも様々な工夫が施されており、乗客の快適を優先させ内外のデザインの質も高い。整備や清掃が行き届いており、南米の諸都市で見られるガタガタの満員バスとは比べものにならない。急行線やローカル線など五種類に分かれており、それぞれが美しい色彩で塗りわけられている。幹線道路の専用バスレーンを走る赤色の急行と連結型急行、その急行が停車する乗換駅間を環状に結ぶ緑色の地区間線、地区内各駅に止まるオレンジ色のローカル線、そして地区間の一般道を短時間で結ぶ銀色の直行線の五種類があり、誰もがすぐに識別出来るようになっている。40人乗りの小型車両から特別に開発された270人乗りの3両編成大型車両まで、利用者数に応じて幾通りもの定員数の車両を走らせることができる。
■共通料金体系
市域各地に住む利用者はこれらのバスを目的地により使い分けテューボ駅で乗り継ぐことになるが、単一料金である為、駅での乗り換えはスムースかつ快適である。
南米諸都市のバス交通は劣悪で、富裕層は自家用車を手放そうとはせず慢性の交通渋滞に苦しんでいる。クリティーバ市のこの方法は、バス車両の美しさや停留所の快適さ、あるいは運行時間の早さと正確さ、それに料金の安さなど、利用者本位の姿勢が徹底しており幅広い市民層の支持を得ている。
■環境共生型のまちづくり
バスシステムで注目を浴びたクリティーバの都市計画のもうひとつの特徴が環境共生への取り組みである。急激な都市化は河川の慢性的な氾濫や水系の汚染をもたらし、緑地の喪失と土地利用の混乱を招いたとして、市はそれまでの土木工事依存の事業を見直し、都市内にあっても出来るだけ自然環境を復元するという手法で公共緑地の整備に着手した。市内を流れる四つの河川に沿って、主要な公園や緑地が整備され、リニアーな公園緑地ネットワークができあがった。これらは集中降雨時の氾濫を押さえ、自然の力による流域の浄化も効果をあげ、結果的に建設費の削減にも寄与している。市内に何カ所もあった採石場跡地はゴミ捨て場と化し忘れ去られていたが環境整備の対象として公園化を進め、文化やレクリエーションの場として親しまれる場に生まれ変わった。公園の清掃や草花の手入れなどの保守管理を子供や老人が行ったり、環境に関する様々な学習プログラムを公園で行うなどの取り組みが効果をあげている。ザニネリの森では環境自由大学と呼ばれる学校が作られ、子供の学習からプロの講習まで幅広い環境教育が実践されている。針金オペラと呼ばれる採石場跡地のオペラハウスではコンサートが開かれ、市民が環境の大切さを実感できるモニュメントの役割も果たしている。こうして人口一人当たり公園面積55㎡という高い水準を達成した。
■歴史的市街地の再生と再開発
クリティーバの中心部には19世紀後半に鉄道の開通と共に栄えた当時の市街地が残っていたが、自動車社会に対応できず荒廃していった。70年代には商店主の反対を押し切って自動車交通を排除し、キンゼ通りで歩行者天国を成功させた他、その後も多くの広場などで歩行者専用道化が進み、中心市街地の活気を取り戻していった。中でもペロウリーニョ・アーケードと呼ばれる花市場は有名である。こうした旧市街の空間整備と併せて歴史的建造物の調査を進め、ジェネローゾ・マルケス広場周辺の「街の色プロジェクト」と称する街並み保存プロジェクトなど多くの建物の保存再生が実現している。IPPUCの専門家がこうした調査や実際のプロジェクトにあたるほか、補助金制度の斡旋なども行っている。
■市民参加型のまちづくり
貧困との闘いが先決で義務教育すら十分にでない社会にあって、クリティーバのまちづくりは教育・福祉や雇用までも包含する概念であり、街を愛し、まちづくりを理解する市民を増やす事が、理想のまちづくりへの近道であるという考え方である。資源ゴミと食料や文房具などとを交換する緑の交換CambioVerdeと呼ばれる制度は、ゴミ収集という主目的に食料供給や教育とを兼ねたまちづくりプログラムである。公園や緑地の維持管理に子供達を動員するのも同様の理由による。
小学校に併設される知恵の灯台や、街の灯台と呼ばれる施設は灯台型の展望台のデザインが親しみ易い建物だが、インターネットができる街中の小さな図書館で地域活動の拠点となりつつある。多くの人々が集まる交通の結節点である主要なバス駅には教育、福祉、レクリエーション機能を備えたひとまわり大きな市民通りと呼ばれる近隣センターが次々と建設されているが、これらの施設建設はまちづくりを地域レベルに分散させ、市民参加による地域自治を実現しようとする試みである。
■都市計画行政の総合化
1965年に都市計画行政の縦横断的対応と継続性のある取り組みを実現するために、クリティーバ都市計画研究所IPPUCが設立された。縦割り行政による都市計画の不効率をなくすために、土木や建築の枠を越えて教育や福祉、雇用なども包含した総合的な都市政策を実践するための組織となっている。環境都市クリティーバの数々の成果はこのIPPUCの存在なくしては考えられない。有能な建築家やプランナーに加え、ランドスケープや環境問題などのデザイナーや専門家を多数擁し、多くのプロジェクトを実際に手掛けている。建築家ジャイメ・レーネルもその一人で、初期のIPPUC所長を務めた後70年代から通算3期計12年間にわたり市長を務めた。その後二期8年パラナ州知事を務めた後、現在世界建築家連合(UIA)の会長職にある。現市長カシオ・タニグチもIPPUC出身の技術者であり、70年代からのまちづくりの基本路線を継承している。
緑に覆われた広大な敷地に木造の別荘家屋のような建物が点在し、ジーパン姿のデザイナー風の男女がマウスと色鉛筆で仕事をしている。これがクリティーバ市の都市計画を司るIPPUCの風情であるが、私はそこに我が国が目指すべき脱官僚主義と建築家のまちづくり参画の未来形をみる思いである。
■クリティーバから学ぶもの
発展途上国の人口160万の都市が、大規模な都市基盤整備に巨額を投ずるのではなく、教育・医療・福祉・雇用等とも連動した独自のまちづくりにより、費用対効果の優れたまちづくりを実現した。実践された手法の多くは20世紀の都市計画理論の応用だが、経済力をふまえた現実的な取組みと地域の歴史や文化の特性を十分に取り入れた応用力が評価できる。
サステイナブルコミュニティやコンパクトシティが21世紀型のまちづくりの方向性であると誰もが信ずる今日、40年前に始められたクリティーバ市のまちづくりに学ぶべき点は多い。我が国でも、これからの少子高齢化および環境共生型社会に向けたまちづくり、そして地域性を生かした参加型まちづくりを考える上で、建築家と行政とのコミュニティへの取組姿勢や、円滑な実践を可能にする組織づくりやリーダー育成など、クリティーバの経験とその成果は我が国の多くの中小都市のまちづくりにも多くのヒントを与えてくれている。
■クリティーバとブラジリア
クリティーバのまちづくりの原型は1960年代の都市計画にあると述べた。当時の世界は急激な都市化とそこに発生した都市問題との戦いをめぐって様々な技術論が錯綜していた。我が国では、立ち遅れ(ていると理解され)ていた自動車社会を受け入れるための国土改造が都市計画の課題とされていた。ブラジルでは近代都市計画理論の粋を集めたとされる新首都ブラジリアが建設されていた。
これら二つのブラジルの都市は余りにも異なる。ブラジリアの建設にはルシオ・コスタとオスカー・ニーマイヤーという二人の建築家が大きな影響力を持った。クリティーバのまちづくりには、ジョージ・ウィリェイムと後の市長ジャイメ・レーネルらの建築家達が大きく寄与した。一部で聞かれる両都市の単純な比較は軽率といわざるを得ない。なぜならその目的も立地条件も全く異なるからである。重要なことは、両者とも都市の開発(計画)のあり方に関して建築家が深く関わったという事実であり、政治(家)がそれを必要としたという文化的土壌の問題である。
■マスタープランと都市景観
当時、サステイナブルやコンパクトシティといった言葉は一般的ではなかったが、自動車社会における歩行者優先という考え方が定着し始めていた。こうした先進性のある情報はブラジルでは建築家達によってもたらされていた。既成市街地においては歴史的道路網の組み替えによるバス交通システムを実現し、大平原での新開発にあっては立体交差道路網による自動車交通確保と近隣住区内の歩行者空間の確保を実現したが、ともに建築家によるマスタープランにもとづくものであった。
そして21世紀を迎え成長型の都市計画は顰蹙をかうようになり、環境共生型コンパクトシティが主流となった今、ブラジルの二つの都市、ブラジリアとクリティーバが注目されている背景に、建築家達の先見性があったことに着目する必要がある。単体建築デザインという視点でではなく、都市と人間との関わりへの先見性として、あるいは都市計画や交通計画の理論や技術論に関する先見性についてである。
ふたつの都市には明快なマスタープランが存在する。五つの放射状パターンのクリティーバと飛行機型パターンとして有名なブラジリア。どちらも都市の交通動脈と集中的な土地利用とが、都市の「かたち」を表現し、マクロな「都市景観」を形成している。ともに建築家のプランであり、サステイナブルかつヴィジブルなコンパクトシティである。
いま東京のような巨大都市では、都市の景観美は部分でしか語れないし、混沌さこそがアジア型都市の魅力であるとする議論もある。が私はひとりの建築家として、先見性のある優れたマスタープランに基づき、年数をかけて築かれる都市美を「美しい」と好む。その意味で都市計画が健全であってほしいし、まちづくりに建築家がデザイナーとして参加すべきであると考える。建築家の仕事が見える全く性格の異なる両都市を見るたびに、その両方に「マスタープランが見えて美しい」と素直に都市の魅力を感ずるのである。