都市デザイン的マンション論

bulletim 2000年10月号掲載

 なぜ東京の街は美しくないのか。その最大の理由は我が国で「マンション」と呼ばれる集合住宅の質にあると私は思う。なぜかJIAの建築家があまり言及しないこの問題に対して問題提起してみる。

都市美は集合住宅の質に因る
 言うまでもなく都市は人間が生きるために存在する。故に都市は住宅で出来ている。とりわけヨーロッパの都市における住宅は、そのほとんどが集合住宅である。だからヨーロッパの都市の美しさの所以は、その集合住宅の美しさにあると言っても過言ではない。勢いヨーロッパの建築家は好んで集合住宅の設計に情熱を捧げることになる。
我が国の集合住宅の歴史は浅く、同潤会アパートに始まり戦後の公団住宅で飛躍発展したとされるが、民間の集合住宅供給が始まったのは高々70年代以降であり、30数年を経た今日も都市景観の主役とは言い難き地位に甘んじている。
両者を比較すると、街路と建物とを一纏めに街区単位で都市を制御し、中世都市的な都市景観を守る立場と、高度経済成長期に敷地至上主義に陥り、敷地毎の高度利用を優先する立場との違いが見えて悲しい。
郊外のニュータウンを除けば、我が国ではおよそ集合住宅が都市計画的な位置づけのもとに本格的に建設されることは無かった。一般の既成市街地の中に割り込むかのごとく集合住宅が建設され、故に地域の迷惑施設として反対運動のターゲットとされることが何十年にもわたって続けられている。

集合住宅設計の特殊性
 そんなことだからかどうか、集合住宅の設計という仕事は我が国の建築家の多くにとっては少々魅力に欠ける対象のようだ。集合住宅の設計業務は住宅供給事業の中で発生する。その為、通常の建築の場合より事業成立の為の設計条件が多く、また販売促進という立場から商品企画上の様々な対応を求められることになる。
設計実務では従来の建築基準法や消防法に加えて、最近では各自治体の条例や指導要綱等による膨大な労務が山積する。近隣対策なる仕事も相変わらず、加えて住宅性能評価申請などという新規業務が追い打ちをかけることになった。
さらに事業収支上の厳しい要請に振り回され、設計料までもが圧縮されるとなれば、経営上も集合住宅設計業務が敬遠されがちなのは解るとはいえ、故に特定の専門設計事務所やゼネコンの設計部に集合住宅の設計が集中し、事業者の意向や行政指導等に従順とならざるを得ない環境で設計が進むとすれば心配に値しよう。

集合住宅のデザイン
 かくしてJIA内で集合住宅に関する議論は少ない。ごく一部の作品が話題になる以外は、むしろ反対運動や欠陥マンション問題などが話題となることの方が多い。
しかし都市景観に与える集合住宅の影響は計り知れず、住戸や住棟に関わるデザインに加えて、都市環境や街並み景観等に配慮した集合住宅デザインが求められているのだ。となれば建築家こそが社会に対してその責を負うのではなかったのか。
建築家はデベロッパー他を含む住宅産業界に対し批判的視座を持つべきとしても、都市を構成する集合住宅への建築家の参加がかくも少なく評論家と化す傾向は、社会的責務からの逃避とされかねない。 
 ここ数年、何人かの建築家のデザイン監修者としての集合住宅への取り組みが報道されるようになった。私もいくつかのプロジェクトに監修者として参加している者の一人である。私の場合は、主に都市環境デザインの立場から実施設計担当者に対してデザイン監修を行い、一定の成果を得ていると自負しているが、監修業務についてはその定義や法的な位置づけなど検討すべき課題が多いのも事実である。
 都市再生が国家的目標となり、より良い住宅環境の実現が求められる今日、我々建築家の最大の責務はより良い集合住宅を生み出し、もって都市をより美しくすることではなかろうか。その為には時代の要請を適切に把握し、設計者として、またデザイン監修者として、積極的に集合住宅に取り組んで行くことが大切である。